100年以上、丁寧な酒造りを守り続ける酒蔵

新年明けましておめでとうございます。版下太郎です。
昨年秋口まで猛威を振るった新型コロナウイルスですが、ようやく収束への希望の光が見えてきたように感じます。
少し新株が広がりつつあるのが気になりますが、今年こそ日常が戻ってくるといいですね。

さて、新年を迎えてのブログですが、今回は、北九州市小倉南区で日本酒や焼酎を製造されている無法松酒造有限会社代表取締役の山家勉さんにお話を伺いました。

インタビュー/Interview
無法松酒造(有)代表取締役:山家勉

―山家さん、こんにちは。今日は大変お忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございます。まずは簡単に自己紹介をお願いします。
こんにちは!初めまして、山家勉と申します。このような機会をいただきまして、厚く御礼申し上げます。どうぞよろしくお願いいたします。私は無法松酒造有限会社の代表をしております。毎日額に汗をかきながら、小倉南区の平尾台の麓でお酒造りに励んでいます。(笑)
自己紹介を兼ねて、以前にお世話になった団体や、今入っている団体につきまして、少しお話しいたします。
私が初めて入会した団体が北九州青年会議所(JC)です。約3年間という短い期間ではありましたが、とても充実した時間を過ごさせていただきました。JCでは、尊敬できる先輩や多くの友人、知り合いをえることができ、また奉仕、友情、修練など、多くのことを学ばさせていただきましたが、一番心に残っているのは松下幸之助さんの「まずはやってみなはれ」という言葉ですね。面倒なことを後回しにするところはなかなか変わりませんが、やってみてよかったこと、改善しないといけないことを常に意識して行動することを心がけています。
今所属しているのは、北九州経営研究会や日専連北九州、小倉法人会です。北九州経営研究会は先輩方の多くの実体験を基にした勉強会を定期的に開催しており、実践的な経営について学んでいます。日専連北九州では少年サッカーのサポートや版画の審査のお手伝い、到津の森公園の募金活動に従事しています。小倉法人会では小学校に出向いて税のについての出前授業(租税教室)などを行っています。その他にも様々な研修を受けたり、日々自分にとってプラスになるような活動に力を入れています。

―社会貢献も含めた様々な活動をしていますね。ところで、山家さんが代表をされている無法松酒造について教えていただけますか。
弊社は1877年(明治10年)に現在の地で創業いたしました。日本酒を造る前は櫨蝋(はぜろう)を関西の方に出荷してたいそう儲かったらしく、そのお金で日本酒製造に着手したと聞いております。櫨蝋とは、櫨の実を搾るって得られる蝋分で、和ろうそくの原料です。そして、お酒造りに欠かせない良質な水が豊富にあるところを探していたところ、現在の地を見つけて創業したそうです。 水は 「水源の森 百選」にも選ばれている福知山系の水を使用しています。近くの法圓寺さんの境内には、小倉に軍医として赴任していた明治時代の文豪・森鷗外と親族との交流を示す石碑 「山家先生之碑」 もありますよ。

―創業して140年以上になるんですね。まだ、八幡製鐵所ができる前からですので、大げさではなく、無法松酒造は北九州発展とともに歩んできたわけですね。
そうなりますね。一つ祖母のエピソードがあります。戦時中のことですが、近所の方が戦地に赴く前にどうしても一杯だけ酒をいただけないかと祖母に懇願されたことがあったそうです。祖母は断り切れず、こっそり樽からお酒を取り出そうとしたそうですが、今まで自分で樽からお酒を取り出したことはなく、誤って樽の中のお酒を全部こぼしてしまったそうです。曾祖父からは「怒られた、怒られた」と話してくれましたが、税務署は酒税を免除してくれたそうです。当時は戦費調達に酒税がかなり貢献していたようですね。現代のような平和な時代が永く続くことを祈っています。
昭和40年代になると、焼酎も手掛けるようになりました。そして平成15年頃にはリキュールの製造も始めています。そのうちウイスキーなども製造できるようになれたらと思っています。
平成に入り、親戚の会社4社と合併して酒類製造事業を続けていましたが、現在は独立して事業を展開しています。
将来的には酒類製造にこだわらず、他の分野参入もできるようにアンテナを立てながら、一生懸命に仕事に取り組んでいます。

―日本酒造りに軸足を置きながらも、徐々に業務の幅を広げてきていますね。聞いているだけで、次に何をするのか、ワクワクします。ところで、北九州の魅力とは何だと思われますか。
やはり街でありながら自然が豊富にあること、そしてその中で歴史や食などの文化が育まれてきたところだと思います。日本全体で見れば人口が比較的多く、都会的な面が強いのも確かですが、一方で人情が豊かな面もあります。北九州は、もともと門司、小倉、戸畑、八幡、若松の五市が合併したわけですが、今でもそれぞれの地域に良い文化がたくさん残っているのは、非常に誇れる点だと思います。

―なるほど。確かにそれぞれの地域に特色がありますね。山家さんの思う地元小倉南区の魅力は何でしょうか。
やはり「平尾台」が一番でしょう。年に何回か車で上がりますが、四季の表情がこれほど豊かな山はないのではないかと思っています。春の新緑と所々に咲いている桜は見るものを引き付けて離しません。夏はすべてを包み込むような雄大さを感じさせてくれます。秋の紅葉は人々の気持ちを和ませてくれますし、東谷の冬は厳しい寒さを教えてくれます。内陸の東谷は、街との気温差が4度ぐらいあることもあるんですよ。また、ここでは雪が積もっていても、2、3キロ離れた所ではまったく積もっていないなど、同じ北九州でもこんなに違いがあるのかと驚かされます。

―「平尾台」ですね。山口県の秋吉台と並んで日本有数のカルストですが、もっと知られてもいいと思うぐらい風光明媚な場所ですよね。その他の地域はどうでしょうか。
門司についてはレトロ地区の景観がきれいで好きですね。それと海岸通りはとても気持ちがいいです。夕方や夜に車で走るとテンションが上がります。
戸畑はやはり戸畑祇園大山笠ですかね。迫力があり、見ごたえがあります。
八幡は日本製鐵のイメージがすごく強い。近代日本を引っ張ってきたリーディングカンパニーであり、「鐵は産業の米」、「鐵は国家なり」の言葉を体現してきた会社です。今後も地域経済を牽引していただければ嬉しく思います。
若松については、歴史があり、食、文化(文学)があるところだと思っています。

―ありがとうございます。最後に御社の今後の展望をお聞かせいただけますか。
弊社は酒造会社として、秋と冬が清酒、春と夏が焼酎と一年中を通して造りに行う併蔵です。原料にはこだわりをもち、福智山系の水と、厳選した酒米を使い、じっくり低温発酵させて、少量ながらも丁寧な酒造りに励んでいます。その丁寧に造ったお酒を北九州市内や福岡県内にもっともっと展開をしていきたいですね。その上で、関東や関西にも進出し、全国の皆さんに私たちの造ったお酒を味わってもらいたいと思っています。国内市場は大分頭打ちになってきている感が強いのですが、戦略をしっかり練って販路の拡大に取り組みます。海外展開も視野に入れて突き進んでいきたいです。夢は大きく持ちたいですね。2022年は東京のあるお酒屋さんにアプローチをして売り込んでみたいですね。

プロフィール/Profile

山家勉(やまが つとむ)
北九州市小倉南区出身(1977年生まれ)
常盤高等学校卒業
ECCビジネス学院卒業後、全国各地で仕事をして経験を積み、北九州に戻る。
その後、父の遺志を受け継ぎ、無法松酒造有限会社に戻る。
平成21年無法松酒造有限会社入社
平成22年同社取締役就任
平成25年同社代表取締役就任
趣味はウォーキング、ドライブ、お茶
好きな言葉は「一蓮托生」「大器晩成」「温故知新」

無法松酒造有限会社
〒803-0186 福岡県北九州市小倉南区大字新道寺310番地
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